なかのひと リレーインタビュー
第3回 社長・岡本

2022年03月25日

「しごと」×「オピカ」×「わたし」をテーマに
社内の各担当者にお話を伺っていきます。
第3回はオピカ創業29年目を記念して創業者・岡本社長の登場です。

オピカは2022年3月22日、創業29年目を迎えました。
前身となる有限会社オカモト印刷は、
1994年、社長以下4名でスタート。
1994年といえば初代プレイステーションが発売され、
イチローが史上初のシーズン200安打を達成した年でした。
創業から今日まで「後ろを振り返らず、夢中で走ってきた」
という岡本社長に聞きました。

--まずは前回インタビューしたみみたんからの質問で起業した理由、
そして創業時の様子を教えてください。

当時勤めていた印刷会社を退職することになり、
次にどうするかと悩んでいたとき、
お客様から「もし印刷会社を始めるなら仕事を出すよ」と
温かい言葉をいただいたのがきっかけです。
創業したころは自分と社員3、4人で15坪ぐらいの事務所兼作業場で
夜を徹して仕事をしていました。
朝の8時から仕事して家に帰るのは夜中の1時とか、
泊まり込むこともよくありました。

--会社の転機となった出来事はなんですか。

4色機を導入したことです。
何年前かは忘れましたが中野区南台(東京都)に事務所があったとき(※注:20年ちょっと前)。
近隣で4色機を持っている会社はほとんどありませんでした。
それまでは名刺やはがき、伝票がメインでしたが、
4色機を入れたことでカラー印刷ができるようになり、
パンフレットや招待状など、仕事の幅が広がりました。
みんな必死で働いて、よその印刷会社と比べて給料も高かったかも?

--もし創業時の、29年前の自分と話ができたら何を伝えたいですか。

「もっと働け」。

--?!

「もっと経営を勉強しろ」かな。
日々一生懸命仕事をしていましたが、
今にして思えば会社を伸ばすという視点がなかったと思います。
その時その時の自分の立場・役割を理解して会社を経営していれば、
今の3倍くらいの企業規模になっていたのではないかと思います。

--社長が描くオピカの未来像を教えてください。

オフィスの壁に掲げている100年カレンダーが全部埋まるように。
自分は死んでますが、会社は社長が死んでも続いていかねばなりません。
企業寿命30年説というのがあって、
同じ会社を同じ社長がやってはいけない、と言います。
世代は変わっていかなければいけないし、
そういう意味で今、改革期を迎えています。

1993年から始まる100年カレンダー


印刷会社は典型的な装置産業です。
大量生産・大量消費の時代はそれでよかったのですが、
今は必要なときに必要な分だけという時代です。
機械が仕事を生むわけではないので、知恵と努力が必要です。
オピカは何十年後も印刷会社であらねばならないということはなく、
別の業態でもよくて、経常利益1億円、社員の平均年収500万円を
達成している会社であればよいと思います。

音楽の話に例えると、1980年代にCDが発売されて、
レコードがなくなると言われましたが、
実際はレコードが残ってCDはなくなってきています。
印刷でいえば、書籍は残るので出版をやっている印刷会社は残るでしょう。
しかし商業印刷のほうは、淘汰され衰退していくと思われます。
その観点から、アルバムえほん事業部が10年後の
メインの事業のひとつとなるよう拡充させていきたいと考えています。

--次回は「マザーチアリング」プロジェクト担当の人にインタビュー予定です。
聞いてみたいことはありますか。

マザーチアリングに対してどんな思いや考えを抱いているかお聞きしたいです。

--ありがとうございました! 続きはまた次回。

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